同窓生の活躍記事 【フリージャーナリスト猪熊建夫氏 著】

フリージャーナリストの猪熊建夫氏
著作の福島高校同窓生活躍の記事です。

みやぎ梅苑会でおなじみの
塚野淳一さん(チェロ奏者)
樋口康二郎さん(東北電力社長)
が登場します。


「プロジェクトFUKUSHIMA!」を設立した3人の卒業生
 福島県の北東部にある福島市。県庁所在地ではあるものの、人口は28万人弱で県下3番目だ。県立福島高校は、1898年に開校した県第三尋常中学校を前身とする伝統校だ。
「プロジェクトFUKUSHIMA!」というNPO法人が、東日本大震災直後の2011年5月に設立された。震災後の福島県の復興を目指して、フェスティバル、ワークショップ、動画配信などジャンル横断的なプロジェクトを行っている。
 設立の発起人は、音楽家の大友良英と遠藤ミチロウ、それに詩人の和合亮一の3人だった。3人とも県立福島高校の卒業生だ。
 大友は、ギタリスト、作曲家、パンク・ロック演奏者などとして幅広く音楽活動を続けている。13年度上半期に放送されたNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』で、オープニングなどの楽曲を担当し、多数の関連作品を発表、ドラマのヒットとともに大友の知名度は一気に上がった。日本映画の「劇伴」も多く手がけている。大友は明治大中退だ。
 遠藤ミチロウはロックミュージシャンで、1980年代からロックバンド「ザ・スターリン」などとして活動した。還暦を超えても精力的にライブ活動を行っていたが、がんに侵され19年4月に死去した。山形大卒。
 和合亮一は、詩人、ラジオパーソナリティーなどとして、メディアによく登場している。大地震直後に被災現場からツイッターで「詩の礫(つぶて)」を発信し、注目を浴びた。福島県内の県立高校の教員をしながら、福島を盛り上げる多彩な活動をしている。
 19年には、『QQQ』で第27回萩原朔太郎賞を受賞した。和合は、福島高校から福島大教育学部に進み、卒業した。
 3人は、フェスティバルの一環として「福島大風呂敷」を企画、全国各地から集まった風呂敷を縫い合わせ福島市内の会場に大風呂敷として敷き詰めるなど、秀逸なアイデアで復興機運を盛り上げた。
◆東日本大震災時には避難所として1カ月間で延べ568人を受け入れ
 福島県の旧制中学ナンバースクールでは、1884年設立の福島一中(現安積高校、郡山市)、95年設立の二中(現磐城高校、いわき市)、98年設立の三中(現福島高校、福島市)と四中(現相馬高校、相馬市)という順番だ。
 福島県は幕末から明治維新・廃藩置県まで、会津藩28万石が雄藩として君臨、他に10の小藩が林立していた。薩長政府は会津藩を賊軍扱いして忌み嫌い、3万石の小藩だった福島を県庁所在地とした。しかし、県庁所在地でありながら福島は「三中」になった。
 一方、会津にはナンバースクール中学をつくらせなかった。このため旧制会津中学(現会津高校)は1890年に、「私立」としてスタートすることを余儀なくされた。
 県庁所在地でありながら「県立一中」にならなかった例としては青森県(一中は弘前高校=弘前市。三中は青森高校=青森市)、滋賀県(一中は彦根東高校=彦根市、二中は膳所高校=大津市)など、全国に約10例がある。
 福島第三中学は、戦後の学制改革で新制福島高校となったが、男女共学は揺れ動いた。1951年度から女子に門戸を開き、4年間で計27人の女子が入学してきた。しかし、54年度で打ち切った。文部省が「女子生徒は家庭科必修」としたため、「その対応ができない」と、あらためて「男子のみ」に戻したのだ。
 福島高校の男女共学は、それから約50年たった2003年度から再開された。県と県教委の方針で、県下の公立男子校、女子校が相次いで共学化されたのだ。
 1学年は7クラス・270~280人。現在では男55・女45の比率で、男女共学は定着している。
 通称は「福高」、あるいは校章の梅花にちなんで「梅高(ばいこう)」だ。校訓は「清らかであれ 勉励せよ 世のためたれ」だ。
 東日本大震災から12年余りがたった。内陸部にあるため、福島高校に津波は押し寄せてこない。幸い、大揺れによる生徒や教職員の人的被害もなかった。
 しかし、校舎の第3・4棟などが使えなくなった。使える校舎は11年3月11日夕から避難所になった。双葉、南相馬地区などから1カ月間に延べ568人を受け入れた。半年間、1クラス80人編成として仮教室で授業を続けざるを得なかった。
 東京電力福島第一原子力発電所からは、北西に約60キロ離れている。しかし福島市は放射線量が高く、福島高校でも除染工事が続いた。14年には耐震設計の5階建て新校舎が完成した。
 07年度以来、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている。22年度からはその4期目指定を受けている。
 23年春の国公立大合格実績(23年4月入学)は、現役・浪人を合わせ東京大4人、東京工業大3人、一橋大1人、東北大32人、北海道大4人、地元の福島大35人、新潟大24人などだ。
 福島県立医科大医学部には15人が合格している。
 私立大には延べで、早稲田大15人、慶応大8人だった。
 過去、例えば75年度には、東大16人、東北大81人の合格者を出している。その後、落ち込んでいるが、それでも福島県内の高校では断トツの実績となっている。
◆経済界で活躍する多くの卒業生たち
 経済界で活躍している福高の卒業生を、見てみよう。
 企業のトップ経験者は、九州電力の初代社長・佐藤篤次郎、千代田火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損保)のトップを務めた古関周蔵をはじめ、塚原董久(三菱自動車工業)、服部元三(川崎汽船)、三木茂(北日本電線)、後藤亘(東京メトロポリタンテレビジョン)、内池佐太郎(東邦銀行)、尾形充生(静岡中央銀行)、菅野光弥(福島テレビ)、神永晉(住友精密工業)、矢吹健次(北海道コカ・コーラボトリング)、高島英也(サッポロビール)、半沢正利(三菱アルミニウム)らが卒業生だ。
 スナック菓子大手カルビーの伊藤秀二は、09年から社長を務めていたが、23年3月末で退任した。任期中の11年3月11日にカルビーは東証1部に上場した。まさに東日本大震災が起きたその日の上場だった、というエピソードを持つ。
 樋口康二郎は20年4月、福島県出身者としては初めて東北電力社長に就いた。
 味澤将宏(まさひろ)は20年1月、米フェイスブックの日本法人フェイスブックジャパンの代表取締役に就任した。
 福島県二本松市には1752年創業の老舗酒蔵・第七酒造がある。
 その10代目当主で社長の太田英晴(福島高校―東大法学部卒)は、「高級純米酒」という商品ジャンルを創始し、海外の日本酒ブームの立役者の一人になっている。
 ベンチャー企業の創業経営者も出ている。信太(しだ)明は、SEO(検索エンジン最適化)のアウンコンサルティングを設立し、05年に東証マザーズ市場に上場した。現在は東証スタンダード上場だ。
 佐藤航陽はファイナンス事業のメタップスを創業した。
 佐藤崇弘は、知的障がい者施設のLITALICOの創業者だ。同社は東証プライム上場だ。
 板倉雄一郎は90年代からいち早く、ITビジネスのベンチャーを興したが、倒産させてしまった。その体験記などが注目を集め、現在は経営コンサルタントとして活動している。
◆国会議員では佐藤正久や平沢勝栄もOB
 政官界をのぞいてみよう。
 戦前から、延べ10人ほどの国会議員を出している。メディアによく登場するのは元陸上自衛隊員でイラク派遣時に「ひげの隊長」として知られた参院議員(自民党)の佐藤正久だ。佐藤は安全保障・外交の専門家として、BS放送などに頻繁に登場、コメントを述べている。防衛大学校卒だ。
 警察官僚出身で衆院議員当選9回の平沢勝栄(自民党)も、OBだ。20年9月に菅内閣で初めて入閣し、復興担当相を務めた。
 現職の国会議員ではさらに、衆院議員の馬場雄基(立憲民主党)がいる。21年10月の衆院選で当選、この総選挙では唯一の20代当選者となった。慶応大―松下政経塾出身だ。
 三浦信祐は参院議員2期(公明党)だ。千葉工業大を卒業、東京工業大大学院で博士号を取得し、防衛大学校准教授に就任した。
 全日本農民組合から立ち、衆参両院議員として当選13回を数え、日本社会党の幹部となった八百板正は、旧制福島中学を中退した。
地方自治体の首長として活躍している卒業生も、多い。
 地元・福島市の13年11月の市長選では、福高OB同士の争いになった。4選を目指した瀬戸孝則に対し、環境省官僚だった新人の小林香が圧勝した。
 しかし17年11月の市長選では、小林は元復興庁福島復興局長の木幡浩(福島県立原町高校卒)に敗れた。木幡は21年11月の市長選で再選した。
 福島県浜通り(太平洋沿岸)の北西部に位置する飯舘村は、原発事故による放射線量が高く、全村避難が続いた。菅野典雄は96年に飯舘村の村長に就任、以来6期連続で務め、20年10月に退任した。「自主自立の村づくり」を進め、住民の帰村に向けて悪戦苦闘した。帯広畜産大卒で、酪農を営んでいた。
 飯舘村は23年5月から、一部地域について避難指示が解除された。
 内科医の熊坂義裕は震災前に岩手県宮古市長を務めた。震災後は、社会的包摂サポートセンターを設立し、「よりそいホットライン」で悩み相談をしている。
 須田博行は、18年2月から福島県伊達市長だ。
 阿部孝夫は自治官僚出身で、元神奈川県川崎市長だ。
 官僚では、佐藤文俊が総務事務次官を、太田義武が環境事務次官を務めた。
 佐藤庄市郎は90年~94年、最高裁判所判事に就いた。弁護士出身だ。
◆文化人や学者・研究者にも多くの人材を輩出
 福高から巣立った文化人を、見てみよう。
 詩人の和合亮一を前述しているが、和合より30年ほど先輩には長田(おさだ)弘がいた。平易な言葉とみずみずしい感性で、現代社会を描いた詩集や随筆を出し続け、人々の心をとらえた。昭和~平成を代表する抒情詩人だ。
 早稲田大に進学し、在学中に詩誌「鳥」を創刊、講談社出版文化賞、三好達治賞などを受賞した。15年5月に75歳で死去した。
 歌人では、昭和から平成時代にかけて活躍した山本友一がいた。
 本田一弘は日本歌人クラブ賞を受賞するなど活躍中の歌人だ。加藤徳衛は俳人だ。
 ノンフィクション作家の長尾三郎、推理作家の愛川晶、脚本家の岩間芳樹、映画監督・脚本家の千葉茂樹らもOBだ。
 風野真知雄(かぜの・まちお)は、歴史小説で多くの作品を上梓している。
 メディア関連では、朝日新聞政治部記者出身の星浩が、TBSテレビのスペシャルコメンテーターだ。
 学者・研究者では、大正から昭和にかけての英文学者で、文化功労者にも選定されている斎藤勇がいた。東京女子大学長を務めた。
『犠牲のシステム 福島・沖縄』などの著書がある哲学者で元東大教授の高橋哲哉は、幼少期、原発事故直下の富岡町で育った。
国際経済学の渡部福太郎、行政法の阿部泰隆、経済法の野木村忠邦、民法の山野目章夫、教育心理学の秋場英則、ロシア文学の工藤精一郎、英文学の村岡勇、日本近現代史の安在邦夫と中野目徹、中国近現代史の菊池一隆、国文学の高橋文二、国際政治学の浅野豊美、欧州中世史の甚野尚志らがOBだ。
 菅野和夫は労働法の権威で、東大教授、中央労働委員会会長、労働政策研究・研修機構理事長などを歴任した。
 理系では、地球科学者で秋田大学長をした渡辺万次郎、電子工学が専門で北海学園大学長をした朝倉利光、生物統計学の大橋靖雄、耐震工学の壁谷澤寿海らが卒業している。建築家の大高正人もいた。
 春山純一は宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所助教で、惑星科学が専門だ。月の火山活動に関する研究で多数の論文を発表、月の縦孔の発見で世界的に知られる。
 脳神経外科医の石川敏仁は、震災時に現場で活躍する災害派遣医療チーム「日本DMAT」の活動に尽力している。
 お茶の水女子大の学生・太田朝弓(さゆみ)は、22年4月設立の同大SDGs推進研究所の初代学生委員長になっている。太田は福島高校時代からSDGsの社会活動に熱心に取り組んできた。
◆芸能人やスポーツ選手として活躍する卒業生たち
 芸術・芸能では、俳優では佐藤B作、神尾佑がOBだ。
 岡本敏明は旧制福島中卒の昭和時代の作曲家で、多くの讃美歌・童謡・校歌を作曲した。『どじょっこふなっこ』の作曲者だ。
 塚野淳一は、フリーのチェロ奏者で、指揮者としても活動している。
 引地洋輔は4人組男性アカペラボーカルグループ「RAG FAIR」のリーダーだ。
 中潟憲雄はゲームミュージックの作曲家・ゲームクリエーターだ。高橋まことは元BOOWYのドラマーで、「ミスター8ビート」の異名を取った。
 洋画家では、吉井忠、舘井啓明がいた。
 スポーツでは、陸上競技の短距離選手・山下潤がいる。21年8月の東京五輪で男子200mに出場し、予選3組で20秒78をマークし5着だった。このタイムは日本選手の中では、トップだった。福島高校―筑波大体育専門学群卒で、現在は全日本空輸に属している。
 福高の剣道部は開校2年目に創部され、90年代には3年連続してインターハイに出場、93年は3位入賞している。剣道部出身で警察官の原田悟は、05年の全日本剣道選手権大会で優勝した。
 鈴木哲は福島高校―慶応大―熊谷組―西武ライオンズなどで、投手として活躍した。88年のソウル五輪で、銀メダリストの一員になった。
 斎藤智也は福高で鈴木哲と同期で、仙台大卒後に私立聖光学院高校(福島県伊達市)の教諭・硬式野球部監督になった。甲子園の全国大会に春6回、夏17回の出場を導いた。どちらの出場回数も福島県勢最多だ。22年夏にはベスト4になった。(敬称略)
(フリージャーナリスト 猪熊建夫)